私を値切らないで

 先日、Twitterで鞄職人のゆうやさん(@kabababaaan)という方のツイートを見かけて、思わず膝を打って「ほんまそれな」とリアルに呟いた。学生さんからの「あなたの鞄が欲しいんだけど、価格が高すぎるので負けてくれ」という旨のコメントを受け、それを「職人が絶滅していく理由」のひとつだとして、軽快に拒否した姿勢が清々しい。断るときって、つい「申し訳ないんだけど、それはムリかな・・・」みたいなクッションを入れちゃいがちだけど、ゆうやさんはそういうのを抜きで「買い叩かないで」って言い放った上で「死ぬほど欲しいなら買って欲しい」って購入を勧めてらした。その自信がいい。気持ちいい。

 なにかステキなものに出会って、それを欲しいと思ったとき、目の前にそれを作り出した人物がいたとして、彼/彼女に「あなたの作ったモノは、あなたの決めた価格に見合わないけど、私はそれが欲しいから安くしてください」なんて、恥ずかしくて言えないと思う。
 苦学生は世に多いし、鞄に数万円を出すっていうことに、ものすごい勇気を要する若者っていうのは、恐ろしく多い。借金を背負って勉強してる若者のストレスっていったらないもんな。でも、それとこれとは話が違う。
 お金が無いからって、他者の仕事の成果を貶めることは許されない。残念だけど、じぶんから値切らなきゃいけないなら、そのお店のお客になるには、まだ準備が足りてないんじゃないだろうか。

 今、Twitter上で広く響いた「私の仕事を過小評価しないで」っていう声の主は鞄職人さんだったけれど、これは職人さんやアーティストさんだけの問題じゃないと思う。職人技だけでなく、なにに対しても敬意を払わない人や団体があまりにも多い。それは私たちがあまりにも値切られ慣れているからだと思う。値切られ慣れてるから、値切ることにも抵抗がない。これってよくない。
 サービス残業、みなし残業。定額使い放題の労働力。
 敬意を払われないまま、労働を値切られ続ける「ふつうの日本人」の姿って、あまりにもふつうじゃない。その異常なふつうにもたどり着けないで、もっと酷い搾取を受けている層も膨らんでいるのが肌で感じられる。
 話題の介護や保育の分野からも声が上がっているけれど、事態は改善に向かって動いているんだろうか。そんなもの家の人がやればいいじゃないっていう意識も根強いけれど、それってプロの存在を軽視してないだろうか。
 なんで国語の先生や数学の先生が、放課後に行われるスポーツの練習まで監督しなきゃいけないんだろう。かつてその道を志して、大成できなかったけれど、指導者たるに値する能力を有しする在野の人がたくさんいるだろうに。
 通訳に観光ガイド。語学を習得するのには、よほどの才能かラッキーな環境に恵まれないかぎり、たくさんのお金と時間と努力が必要なのに、いざ使えるところまで届いたと思えば、周りには「そんなのお金にならないよ、ボランティアで十分だもの」っていう空気が満ちている絶望感。
 私はオタクなので、アートの界隈にもそういう話があるのはよく聞く。賃金だけでなく、睡眠時間まで与えられないまま、心身を壊していったり、疲れから事故を引き起こして死傷者を出してしまうような働き方を強要する業界もある。
 私たちは値切られている。
 だからせめて、仕事が軌道に乗っている人には、ぜひ「私を値切らないで」って声を上げて欲しい。私はそういう誇り高い仕事人の姿を見たい。自分のやっていることに、きちんと価値を感じている人の自尊心の輝きが見たい。

 じゃあ、オマエはセールで買い物すんなよ、なんて意地の悪いことは言わないで欲しい。私だってお金のない若者だし、洋服はだいたいファストファッションのお店で、お値打ち価格になってるときに買う。お金が無いんだから仕方ない。それに大手ファストファッションにはセールありきのビジネスモデルがあるはずだろうから、そういう風にできてるんだと納得できる。たとえ大きな搾取の渦に巻き込まれているとしても、私は聖人じゃいられないので、自分の生活をそれなりなものに保つためには、いくらかは荷担するしかない。
 でも、明らかに従業員へ無茶をさせていそうな格安ナントカには、気が付く限り手を出さないようにしているし、特別な機会に正当な対価を払うことはためらわない。惚れたものがあれば、それを作ってくれた人の価値観に従って、気持ちよくお金を払いたい。どうしても欲しい本は書店でハードカバーのものを買うし、めったに買わないアクセサリーは、自分がお客さんになれそうな作家さんを探して、双方納得の価格で買う。
 焼け石に水かも知れないけれど、自尊心は些かなりとも回復する。

 安い労働力である私たちにとって、1万円って大金だ。2万円の鞄が高いか安いかと言われたら、私は反射的に「高い」って答えてしまう。でもその前に「私には」の一句を忘れちゃいけない。私には高いけれど、売り手側にはそれが正当な価格なんだったら、それが全てなんだと思う。背伸びしたければ貯金をする。世知辛い世の中、私がお客さんになれるようになる前に、職人さんがくじけちゃうかも知れないから、SNSはこまめにチェックして反応する。新作情報をキャッチするのも楽しいから、すぐに買っちゃうより長く楽しめると思えば、お得かも知れない。
 とにかく、お店はお客さんを選べた方がいい。私だって、お客さんは選びたい。可能なら雇い主だって選びたい。どんな人に、企業に、私という労働力を提供するか、選べるようになりたい。私を値切ろうとしない、私を搾取しない人と働いて、私を上手く使って儲けてもらいたいし、そのぶんお金をもらいたい。そしてそのお金でモノや経験を買って、家族や友だちといっしょに人生を楽しみたい。
 そんな気持ちをキープするために、私は今日も定価で買った指輪をつけている。高いモノじゃないけれど、美しい。作家さんのセールストークをしっかり聞いて、直接買った。だから私はこの指輪のチャームポイントや、作品に対する彼女の熱意と努力を知ってるし、作家さんは買い手である私が彼女の作品を「価値がある」と判断したことを、私の反応と売り上げ金額で知っている。私はお金といっしょに敬意を払った。これって感動的だと思う。値切っちゃ買えない感動だってある。
 日本には素晴らしい職人さんがたくさんいるらしいけれど、彼らの技術はちゃんと継承できてるんだろうか。大学の研究者が資金不足にあえいでいるけれど、これから日本は世界に売り込めるなにかを発見し続けられるだろうか。お金と敬意を払われない仕事に就きたがる人はいないんだから、自分の持たないものを誰かから得ようと思うなら、相手が必要としているものを提供しなきゃいけないはず。
 小さいところから大きいところまで、値切りの連鎖がどんどん解けていけばいい。